ムィティシ (Mytishchi)
ムイティシンスキー地区の行政中心都市で、地区内最大の産業都市. 機械工業が盛んで、特に兵器製造が活発. また18世紀にエカチェリーナ2世の命で建設されたロシア初の上水道があることでも知られ、ここからモスクワのクレムリンへ清潔な水を配水した. 人口は159,900人(2002年国勢調査)と、モスクワ州でも2番目の大きさ.
紀元前8千年紀から紀元前6千年紀の新石器時代後期の居住跡があり、当時の人々は狩りや漁で生活していたことがうかがえる. 8世紀から9世紀にはヴァーティチ族、クリーヴィチ族といった東スラヴ人が住みはじめた. ムィティシ市内および周辺には11世紀から13世紀にかけての集落が10か所以上あったことが分かっている.
ムィティシの集落は1460年には存在し、19世紀までボリシイェ・ムィティシ(Большие Мытищи)と呼ばれていた. 集落の歴史と発展はヤウザ川の河港とともにあった. ヤウザ川は商船などが通る交易路であり、ムィティシで船は川から引き上げられ、ころや滑材の上を転がしてクリャージマ川までの連水陸路を移動した. 商人たちが払う船や荷物の陸送料でムィティシの人々は生活した. ムィティシという町の名も、この料金(Мыт)に由来する. 19世紀半ばにはわずか389人だった人口は、後に首都モスクワの近郊都市として拡大している.